教育のデジタル化が進む中、「国際標準に準拠している」という言葉を耳にする機会が増えています。昨今のデジタルアセスメント市場では、「分散型アーキテクチャであれば負荷に強い」「QTI3に完全準拠していなければ時代遅れだ」といった声も聞かれるなど、技術仕様をめぐる議論が活発化しています。
しかし、これらは本当にアセスメントの価値を決定づける要素なのでしょうか。その根底には、「いかにして公正で信頼性の高いテストを、すべての人に提供できるか」という、より本質的な問いが横たわっています。
先日開催された「Learning Impact Japan 2025」において、Open Assessment Technologies(OAT)社のジュリアン・セビール氏が、まさにこの本質的な問いへの「実践」について講演されました。氏はQTI 3.0規格の共著者の一人であり、PISA 2025/2029のアクセシビリティパイロットのメインアナリストも務める、標準規格の策定と実装の両面を知る第一人者です。
「Open Standards in Action(オープンスタンダードの実践)」と題されたこの講演では、OATが開発するTAOプラットフォームを通じて、QTIという国際標準がどのように現実の課題を解決し、教育に価値をもたらしているかが語られました。本記事では、その実践から見えてきた4つの重要な視点をご紹介します。
ジュリアン・セビール氏
Open Assessment Technologies(OAT)社
QTI3の共著者であり、1EdTech QTIワーキンググループメンバー、さらにPISA 2025のメインアナリスト、PISA 2029アクセシビリティパイロットを務める氏は、まさに標準規格の策定と実装の両面を知る立場にある。OAT社でもこの6.5年間でバックエンド開発から標準化、ビジネス分析まで幅広く経験。この多面的な役割が、「規格を作ることと、それを使って価値を生み出すことは別の仕事。私たちは両方に取り組んでいる」という講演の核心メッセージにつながっている。
「アクセシビリティは後から追加する機能ではない」
——セビール氏の講演で最も印象的だったメッセージの一つです。
昨今、「QTI3に準拠していなければアクセシビリティが不十分」という議論を耳にすることがあります。しかし、これは規格への形式的な準拠と、実質的なアクセシビリティの実現を同一視してしまう、やや短絡的な見方かもしれません。本来、アクセシビリティはより多面的に捉えるべきテーマです。
セビール氏自身がQTI 3.0の共著者であり、PISA 2025/2029のアクセシビリティパイロットの主要アナリストを務めているという事実は極めて重要です。TAOは単なる標準規格の「利用者」ではなく、その規格を形作る「策定者」の立場から、規格の背後にある精神や意図を深く理解し、実装しているのです。
講演の中で特に印象的だったのは、QTIのアクセシビリティが単独で成立するものではなく、WCAG/ARIAといったウェブ技術の標準規格との連携によって実現されているという説明でした。セビール氏は、QTIがHTMLを包含する(HTMLのサブセットを利用する)ことで、W3Cが定めるウェブアクセシビリティの国際標準を自然に取り込んでいると語ります。
この立場だからこそ、TAOは特定のバージョン番号への準拠を待つことなく、実質的な価値を先行して提供してきました。例えば、色覚特性に配慮するためのカラースキーム機能は、QTI3で正式に仕様化される以前から実装されていました。また、フォント設定についても、WCAGの推奨事項に従って、適切な制約の中で柔軟性を提供しています。
セビール氏が強調したのは、この設計思想がもたらす普遍的な効果です。
「物事を行う様々な方法について考えることは、世界のコミュニティ全体にとって、そしてすべての人にとって、常に良いことだと思います」
キーボードナビゲーション機能は、もともと視覚障害を持つ方のために設計されました。しかし実際には、キーボードショートカットを好む一般ユーザーにも歓迎されています。特別なニーズへの対応が、結果として全員により良い体験をもたらす——これがユニバーサルデザインの本質です。
「ツールチップ(Inline help / 用語解説)」も、QTI 3で新しく仕様化された要素(Glossaries)でありながら、QTIの規格が確定する前からTAOが先行して実装していた、という文脈で言及されていました。
これは、TAOが「QTI 3の規格準拠」にとらわれることなく、QTIの拡張性を活かして実質的なアクセシビリティ対応を先行的に実現していることを示す、ゼビーレ氏の今回の講演内容を象徴する具体例の一つです。このような姿勢こそが、TAOが包括的なアクセシビリティを実現できている理由だと言えるでしょう。
図:TAOにおけるアクセシビリティ機能の実装状況(一部抜粋)
QTI仕様での定義とTAOの実装を対比した表。「キーボードナビゲーション(keyboard navigation)」や「制限時間の調整 (Time adjustment)」のようにQTI仕様では定義されていない(n/a)機能もTAOは独自に実装し、「カラースキーム (Color schemes)」はQTI3での仕様化(黄色のQTI3タグ)に先駆けて既に実装済み。これは、TAOが標準規格への形式的準拠を待つことなく、学習者の実質的なニーズに応えている具体例を示している。
図:アクセシビリティにおけるQTIの位置づけと関連技術(講演資料から抜粋・インフォザインによる翻訳)
セビール氏が示したアクセシビリティの全体像。QTI3の新機能として赤枠で示されているのは「Glossaries(用語集)」のみで、アクセシビリティの主要部分はWCAG/ARIA、HTML5といったW3C標準が担っている。興味深いことに、QTI2でもこれらのウェブ標準との連携は可能であり、実際TAOはQTI2.xベースでありながら包括的なアクセシビリティを実現している。この図は、QTIのバージョン番号の違いよりも、いかにウェブ標準と協調してアクセシビリティを実装するかが本質的に重要であることを示唆している。セビール氏が「QTIの拡張性により、仕様にない機能も実装可能」と述べた意味が、ここに集約されている。
教育機関のニーズは多様です。小規模なクラステストから、数万人規模の資格試験まで、求められる要件は大きく異なります。セビール氏は、この多様性にどのように対応してきたかを、具体的な事例とともに説明しました。
OECD-PISAで採用されている多段階アダプティブテスト(MST)は、TAOの柔軟性を示す好例です。受験者の回答に応じて、リアルタイムで問題の難易度を調整するこの仕組みは、QTI標準の枠組みの中で実現されています。
「これは単に技術的な実装ではありません。一人ひとりの学習者に最適なアセスメント体験を提供するための実践です」
とセビール氏は語ります。
特に興味深かったのは、QTI 2からQTI 3への移行についての説明です。TAOは現在QTI 2.xをベースとしながら、QTI 3の先進機能を段階的に統合しています。これにより、教育機関は既存の資産を活かしながら、新しい機能を段階的に導入できます。
「完全な移行を待つ必要はありません。今すぐ価値を提供することが重要です」
という氏の言葉は、実装者としての責任感を表しています。
オンラインアセスメントにおいて、プラットフォームのアーキテクチャ選択は、単なる技術的な仕様決定ではありません。それは、テストの公正性と信頼性を担保する上で最も重要な、戦略的な意思決定です。
昨今、「分散型アーキテクチャは負荷に強い」という主張を耳にすることがあります。分散型アーキテクチャとは、クライアント側(受験者の端末)で問題の変換や採点などの処理を行うアプローチです。確かに、サーバー側の負荷が軽減されるという側面はあります。
しかし、セビール氏は講演の中で、この議論の本質的な問題点を、クレジットカードの暗証番号を例に説明しました。
「クレジットカードで支払いをするとき、お店の端末は正しい暗証番号を知りません。入力された番号をサーバーに送り、サーバーが判定を返すだけです。もし、正しい暗証番号を端末に送り、端末側で照合する仕組みだったら、それは全く安全ではありません」
この比喩が示すように、受験者の端末に採点ロジックや正答データを持たせる分散型アプローチは、以下の深刻なセキュリティリスクを内包します。
それに対し、TAOが採用する集中型アーキテクチャは、これらのリスクを根本から抑制します。受験者の端末には問題だけを送り、正答データや採点ロジックはすべてサーバー側で管理される仕組みです。
こうした設計により、データの完全な制御と公正なアセスメント環境を確保しながら、高負荷にも対応できる実運用が可能になっています。
「集中型は大規模アクセスに弱い」という懸念に対し、セビール氏が示した数字は圧倒的です。
これらの実績は、適切に設計された集中型アーキテクチャが、セキュリティと大規模運用を両立できることの何よりの証明です。
「セキュリティと大規模運用は両立可能です。それを証明してきました」
という言葉には、単なる負荷分散ではなく、「信頼できるテストを提供する」という本質的な目的への確信が込められていました。
アセスメントプラットフォームの価値は、「負荷に強い」という単一の技術指標だけで測られるべきではありません。それは、特に信頼性が求められるハイステークスのテストで最も重要な「セキュリティと制御された運用環境」を最優先し、その上で実績によってスケーラビリティを証明するという、包括的な視点で評価されるべきなのです。
セビール氏が講演で強調した「Deliverability(デリバビリティ)」というコンセプト。真の配信能力とは負荷分散だけでも、セキュリティだけでもなく、両者の融合にあると説いた。「どちらか」ではなく「どちらも」を実現することが、信頼できるアセスメントプラットフォームの条件である。
標準規格は重要ですが、それだけでは現実の課題は解決しません。セビール氏は、顧客のフィードバックがいかにイノベーションを推進してきたかを強調しました。
QTI 3.0のPCI機能により、従来の選択問題や記述問題を超えた、革新的なアセスメントが可能になりました。セビール氏が紹介した事例は以下のようなものでした。
これらは、教育機関からの「21世紀型スキルを評価したい」という要望から生まれたものです。
PISA 2025/2029のアクセシビリティパイロットでメインアナリストを務める立場から、セビール氏は世界中の多様なニーズに触れています。この経験が、TAOの機能改善に直接フィードバックされているとのことです。
「標準規格を作ることと、それを使って価値を生み出すことは別の仕事です。私たちは両方に取り組んでいます」
ジュリアン・セビール氏の講演から浮かび上がったのは、標準規格への深い理解と、実装における実践的な知恵の融合です。
QTI 3.0の共著者として標準策定に関わり、同時にTAOという実装を通じて現実の課題に向き合ってきた氏だからこそ、以下のような本質的な価値を語ることができたのでしょう。
アクセシビリティは特別な機能ではなく、すべての人のためのデザイン
特定のバージョンへの形式的準拠ではなく、実質的な価値の提供
柔軟性は妥協ではなく、多様なニーズへの真摯な対応
段階的な移行による現実的なソリューション
セキュリティは技術的選択であると同時に、信頼の基盤
「分散型=負荷に強い」という単純な議論を超えた、包括的な視点
イノベーションは規格からではなく、現場のニーズから生まれる
オープンスタンダードの価値は、それがどのように実装され、どのような問題を解決するかによって決まります。「分散型アーキテクチャ」「QTI3完全準拠」といった表面的なキーワードによる単純な比較では、アセスメントプラットフォームの真の価値を測ることはできません。
重要なのは、アセスメントの本質である「公正さ」と「信頼性」を、技術と思想の両面から追求することです。形式的な準拠を競うのではなく、実質的な価値を追求する——OATの実践は、日本の教育機関がデジタルアセスメントを選択する際の、重要な指針となるのではないでしょうか。
セビール氏の講演は、技術標準が単なる仕様書ではなく、教育の可能性を広げる実践的なツールであることを、改めて教えてくれました。その実践の最前線で、TAOは今日も世界中の学習者と教育機関に、真に価値あるアセスメントを提供し続けています。
本記事は、Open Assessment Technologies社 ジュリアン・セビール氏による講演「Open Standards in Action」の内容をもとに、株式会社インフォザインが要約・再構成したものです。記事構成の責任はインフォザインにあります。